九代目玉屋庄兵衛後援会

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玉屋庄兵衛 からくり人形
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玉屋庄兵衛

祭り山車の上で華麗に舞い踊る人形たち、お座敷でお茶を運んだり弓に矢をつがえ的に当てる童子たちは「からくり人形」と呼ばれ、日本においては長い歴史を持っています。それらが急速に発展を遂げたのは江戸初期から中期で、日本で独自に発達した技術に、南蛮貿易によりもたらされた鉄砲や機械時計の技術が融合し、また時代も戦乱の世から太平の世に向かったことも大きな要因と言えます。
寛文二年(1662)大阪道頓堀で旗揚げ公演された竹田からくり芝居は、大きな評判をとり、江戸、尾張など全国的に興業を行い各地にからくりの面白さを伝えました。江戸では歌舞伎の "外連(けれん)"に、関西では"人形浄瑠璃"に、そして尾張では"山車からくり"、"座敷からくり"として発達を遂げました。


玉屋庄兵衛

この尾張でのからくり人形の発展を支えてきたのが歴代の玉屋庄兵衛で、享保十八年(1733)東照宮祭の伝馬町(名古屋市中区)の山車「林和靖車」が新調された際に、初代は、長い首を自由自在に動かし羽ばたく鶴からなるからくり人形を製作し操り方を町内の人々に指導しました。翌年の東照宮祭の前にも伝馬町から指導の依頼があり、名古屋玉屋町(名古屋市中区)に移住することを決意し、町名にちなんで玉屋庄兵衛と名乗るようになりました。その後、尾張を中心にからくりの技術を支え続け、現在は九代玉屋庄兵衛(本名高科庄次/昭和29年1954年 生れ)で、海外を含め広くからくり人形の技術、文化の継承発展に活躍しています。